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世界中で最も大きい「孔雀石」について

Malachite is the largest in the world

サンクトペテルブルグにある鉱山博物館では、1787年にウラルから運ばれてきた1504キロにもなる、世界中で最も大きい「孔雀石」が保存されています

サンクトペテルブルグの天気は、短い時間でころころと変化します。

変わりやすい天気のいくつかの原因は、フィンランド湾の近くに位置し、町の10パーセントを占める陸水、多くの河川、沼や湖があることによります。

しかし、気象条件が頻繁に変化する主な理由は、サンクトペテルブルクが暖かい中緯度空気と冷たい空気、そして高緯度低気圧が生まれる「北極前線」の近くに位置しているためなのです。これらの低気圧は、ほぼいつも町の大部分を占めています。

第二次世界大戦中、イサク寺院、首座使徒ペトル・パウェル大聖堂は灰色の布で覆われ、町の建物は全体的に覆いがかけられていました。

サンクトペテルブルグのメトロ ( 地下鉄) は世界で最も深いものの一つです。メトロは岩盤の下、深さ70~80メートルのところに建設されています。

「キュウリウオ」について

About smelt

動物学博物館について

About the Zoological Museum

サンクトペテルブルグの天気

The weather in St. Petersburg

サンクトペテルブルグで最も人気がある魚は「キュウリウオ」です。漁獲したばかりの鮮魚の状態の時に、キュウリのような青臭いにおいがあるのが名前の由来です。

ししゃもに似たこの小さな魚は、北国を代表するブランドの一つです。春になると、フィンランド湾から遡上して、ネヴァ川へ入ってきます。

 

「白夜」

About the White Nights in St. Petersburg

サンクトペテルブルグでは、5月25日から「白夜」が始まり、7月17日~18日頃終わります。日照時間が最長となる6月21日~22日は、明るい星でさえ見ることが出来ません。

サンクトペテルブルグは洪水が多く、町が建設されて以来約300回を数えますが、それはネヴァ川が氾濫することで起こります。

フィンランド湾で逆流が起こると、海水は7時間から9時間後におよそ5メートル程の高さになってネヴァ川へ流れ込んできます。凄惨を極めた被害をもたらしたのは、1777年9月10日、1824年11月7日、1924年9月23日の洪水でした。

 

サンクトペテルブルグは洪水

The floodwaters

サンクトペテルブルグの名称
Аbout the names

ネフスキー・プロスペクト

Nevsky  Prospect

サンクトペテルブルグは、これまで3度の改名がされています。

建都時の名称は「サンクトペテルブルグ」で、これはキリスト教諸教派の聖人である、天国の鍵を持つ「聖ピョートル」の名前に由来します。

1914年に第一次世界大戦勃発後、ドイツ語の名称をロシア語の名称に変更し、ピョートルの町、「ペトログラード」に改名されました。

1924年、レーニン亡き後にレーニンの町、「レニングラード」に改名され、1991年、また元のサンクトペテルブルグの名称に戻されました。

ネフスキー・プロスペクトは、サンクトペテルブルグのメインストリートで、毎日約200万人もの人々が行き交っています。そのため、この通りはサンクトペテルブルグで最も暖かい場所となっており、夏には2~3度程、冬には10~12度程気温が上昇します。

フィギュアスケート

Figure skating

エルミタージュのコレクションについて

The Hermitage collection

世界中のサンクトペテルブルグ
St. Petersburg in the world

アレクサンドル・ネフスキーにいて 

 

Alexander Nevsky

1865年にユスポフ宮殿で、初めてのフィギュアスケート場が開かれ、その後ロシア初のフィギュアスケート学校が設立されました。

エルミタージュのコレクションは約300万点を数え、5つの建物に分かれて350室に展示されています。

もし仮に、一つの作品につき1分ずつ全ての展示品を鑑賞するならば、20キロの距離を8年かかって歩くことになるでしょう。

アメリカには同じ名称の町が15個あります。

最も大きな「サンクトペテルブルグ」は、フロリダ州タンパ湾の海岸にある「セントピーターズバーグ」です。

天文学者T. M. スミルノワによって1968年に発見された小惑星 "レニングラード" は、サンクトペテルブルグの町から2.2億キロ上空にあります。

 

 

 

ネヴァ川河口域は、古くはバルト海からヴォルガ川、ドニエプル川といった内陸水路を通じて黒海へと向かう「ヴァリャーグからギリシャへの道」と呼ばれた交易ルートに位置し、キエフ大公国、ルーシ (9世紀後半~1240年にかけてキエフを首都とした国家) の北辺に位置していました。

ルーシが分裂するとノヴゴロド公国の辺境地帯となりました。ノヴゴロドはここから発するネヴァ川水路でバルト海とつながっており、ハンザ同盟の4大商館の一つが置かれました。

一方で、ネヴァ川河口はフィンランドを支配下に置くスウェーデンとの国境地帯にもなっており、1240年には両国の間に、現在の中心部東端に当たる場所で「ネヴァ河畔の戦い」が起こりました。この戦いはノヴゴロド公アレクサンドルの活躍によりノヴゴロド側が勝利し、アレクサンドルは「ネヴァ川の勝利者」という意味の「ネフスキー」という名を加えて以後「アレクサンドル・ネフスキー」と名乗るようになりました。

アレクサンドル・ネフスキーはロシアの英雄の一人となり、サンクトペテルブルク建都後に、彼を記念して古戦場に「アレクサンドル・ネフスキー大修道院」が建てられました。

その後はノヴゴロドを勢力下においたモスクワ公国領となっていましたが、1617年にスウェーデンがここを奪取し、以後ピョートル時代に至るまでこの地域はスウェーデン領となっていました。

 

サンクトペテルブルグの建都以前、ネヴァ川近郊には40余りの小さな村があり、ロシア人の他には、スウェーデン人やフィンランド人などが生活していたようです。

サンクト・ぺテルブルグについて    Interesting info about St. Petersburg

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